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眠られぬ夜の為に/スティーヴン・キング「不眠症」





東京メトロ南北線市ヶ谷駅から南に行くと東郷元帥記念公園がある。公園には高低差があり、元々上六公園と呼ばれた低い部分に元帥の私邸だった地所(高い部分)が寄附されたそうだ。桜や銀杏の古木が繁り、東郷邸から引く継いだライオン像がりりしい。九段小学校が隣接しているので遊び場として大活躍だが、5時の下校の音楽と共に潮が引くように子供たちが消える。静かになった公園の枝葉の向こうにマンションが見える。住宅の流行りはよく知らないが、築20年、いや、もっと古いのではないかと思う。煉瓦色に白いアクセント、11階建ての7階以上は雁行設計で最上階は所謂ペントハウスだ。カステラを立てた様なガラス張りの最新型マンションに囲まれて、 老朽化が目立つ。オートロックではないし、勿論床暖房も浴室乾燥機もないだろう。下の階は日当たりも悪そうだ。然し、竣工当時は瀟洒な高級マンションだったかも知れない。早い日没の中でぽつぽつと灯りが燈る。暮らす人々の息がさざなみの様に聴こえる。今のマンションには望めない有機的な姿だ。それはスティーヴン・キングの小説を連想する。いや、禍々しいのではない。人の体温は蓄積するのだろうか、と思うのだ。

スティーヴン・キング「不眠症」 文春文庫 上下 2011/10/7



「不眠症」は1994年の作、日本版は2001年文藝春秋社から単行本が刊行された。キングは積極的に読まないので(既読「呪われた町」「シャイニング」「ペット・セマタリー」「ダークタワー」「デスペレーション」「Black House」 )当時の評価は判らないが、文庫化が遅かった点を考えるとイマイチだったのだろうか。「デスぺレーション」「Black House」「IT」などと共に「ダークタワー」の支流的作品と言われている。
今回の目玉は≪意図≫と≪偶然≫。地上の生き物は≪生≫≪死≫≪意図≫≪偶然≫に支配されている。≪生≫は予定された≪意図≫か、不慮の≪偶然≫に依って終わる。病気や長寿を全うするのは≪意図≫であり、事故や殺人で死ぬのは≪偶然≫だ。それらは『塔』に属している。『塔』は、ショートタイマーと呼ばれる人間を含めた生き物─その生き物の死を実行するロングタイマー─≪意図≫だけの特別な存在、とピラミッド型のヒエラルキアを形成している。ロングタイマーは死神、特別な存在は<神>と<魔物(深紅の王)>。
だが、此処に≪意図≫も≪偶然≫も関係ない男エドがいる。ヒエラルキアに属さない彼は生命コードを切られても死なず、運命を捻じ曲げる事が出来る。捻じ曲げて『塔』を崩す力があるのだ。不眠症に苦しんでいた70歳の老人ラルフはエドを操って塔を崩そうと目論む力<深紅の王>に挑む。物語は二層に分かれて同時進行する。女性運動活動家の講演に揺れるデリーと言う小さな町、その町の深層で<深紅の王>の暴挙に揺れる異次元。ラルフは<神>に選ばれた代理人或いは勇者。では、≪意図≫も≪偶然≫も関係ないエドとは何だろうか。≪意図≫はショートタイマーの意図ではない。<特別な存在>が決めたものなのだ。≪偶然≫は勿論狩り手であるロングタイマーが決める。詰まり、エドは≪意図≫≪偶然≫=運命に対して自由意志を持てると言う事か。にも関わらず彼が<深紅の王>に操られる様になったのは結婚指輪を形代として盗られていたからだ。「すべてを支配するひとつの指輪。すべてを見付けだすひとつの指輪」死ななかったとは言え既に生命コードを切断された男にとって指輪は存在そのもの。その指輪をラルフが指に嵌めた時、運命の輪が大きく廻る。ラルフは良き代理人であると同時に収束する者、一時的とは言えすべてを支配する者となる。
不眠症の膠着を克明に描いた前半から、後半は一転して息詰まる様な展開が続く。構成がかなり複雑なので一読目はディズニー・アトラクション的に読む、二読で突っ込むのが良いと思う。訳者あとがきでは巨大な精密機械と記しておられるが、残念乍ら其処まで極めていない。ラスト、人間は矢張り歯車のひとつなのだと思うか、いや、普通の老人が神と対峙した最高の結末なのだと思うか、柔軟な解釈が出来る作品と感じている。

キングの小説は概ね極くありふれたアメリカの光景から始まる。ドラッグストアの棚、ピックアップトラックの振動、キッチンのテーブルに置かれたクリームや缶詰、細々した描写が執拗に続く。登場人物は実に饒舌で、物語に無関係な通りの西側の向かって3軒目のオヤジに至るまで雪崩の様に自己主張する。言葉を緻密に埋めて行くと言う甚だ原始的なテクニック、カントリー&ウエスタンな文章がアメリカと日本の地域差を越えて臨場感を形成する。作中の豆料理の湯気が頬に触れる。膝に載せた双眼鏡の重みを感じる。「ええ‥本気よ」きっぱりと言う女の声が聞こえる。其処には物語の中で躍動する町や人々の体温がある。日常が崩れて行く過程でも体温が下がる事はない。だから「チェンジリング」は怖く、「ペット・セマタリー」は哀しかった。
都会の夜に瞬く灯と同様に、無数の言葉が紡ぐ生は確かに生きている。



─ 前後に読んだ本 ─


エリック・マコーミック「ミステリウム」国書刊行会 2011/1/25

Eric.McCormick”The Mysterium” Penguin (Canadian); First Thus edition (1993)

本屋でも古本屋でも特に目当てがない時は出版社で選ぶ。最近の国書刊行会の動向を見て、世界幻想文学大系の気概は何処へ行ったのだろうか、と思う時がある。時代が違うのだと言えばそれまでだが、のめり込む様な翻訳の迫力を感じなくなった。それは編集サイドの問題なのか、或いは社会現象なのか。本棚に古書ばかり溜まるのは聊か淋しい。だからトマス・M・ディッシュ「歌の翼に」の様な句読点まで感動する刊行物に出会うと嬉しくなる。原書のほうが断然面白い、と言うのは当たり前、と思うのは間違い。英語でもフランス語でもドイツ語でも、日本語に訳せば息を呑むセンテンスに化ける事がある。友人が絶賛した増田まもる氏の翻訳は知的で嫌いではないが、原書と比較すると何かが足りないと感じる。何かを読者に投げかけるにはあとがきではなく行間の言葉が欲しかった。

フランク・ティリエ「シンドロームE」上下 ハヤカワ文庫 2011/11/25

フランク・ティリエを読むのは「タルタロスの審問官」「死者の部屋」に次いで3冊目。愛のない残虐性と評された「タルタロスの審問官」、「羊たちの沈黙」part2と評された「死者の部屋」、本作はその融和点にある。フレンチサイコのドロドロ感にユーロなセンスが埋没したり浮上したり。クラッシュフィルムの設定が面白く展開も早い。が、最近の海外ミステリに多いパターン→子供が犠牲になり刑事の家族に危機が迫る→は食傷気味。何冊か続けて読むとリミックスして1本のお話になって仕舞う。猟奇的な殺害方法の背景が緩くて日本人作家なら此処を締めるな、と思わず考える。ジェフリー・ディーヴァー「スリーピング・ドール」ではカルトな男に信者が5人しかいないのが解せない。そう言えば、ミステリ界では<ハーメルンの笛吹き男>が暗躍しているのだけど、仕掛け人は誰だろう。


─ 読書中 ─


笠井潔「吸血鬼と精神分析」 光文社 2011/10/20

やっと心静かに手に取る事が出来た。感想は次回。



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